コンセプト

下諏訪の20世紀は製造業が産業の中心と言っても過言がありませんでした。
先の50年間においては製糸業、その後の50年間は時計・カメラ・オルゴールといった精密機械工業で栄えてきました。そして、私達は、SEIKO、YASHICA、OLYMPUS、SANKYOといった世界的なメーカーをここ下諏訪から生み出し、文字通り精密という微細加工を行う手工業種から発展した〔『匠』=オンリーワン技術〕の集積地をつくり出しました。しかし、メーカーは主販売先であるアメリカ型の大量消費、大量生産市場に対応するために『コストダウン』『合理化』『自動化』の荒波に飲み込まれ、かつての花形商品達は気が付けば皆、諏訪地方から東南アジア・中国へ移り去っていきました。
かつての諏訪地方は東洋のスイスと呼ばれていましたが、スイスの精密機械工業も同じように衰退してしまったのでしょうか。答えは時計におけるスイスブランドの強さを見れば明確です。ローレックス、オメガ、ロンジン、スイス時計協会によれば、スイス西部にはこれらのブランドを支える数百に及ぶパーツメーカーが営業し、それぞれが専門のパーツを作り出し、数百社の”エタブリスール”と呼ばれる完成時計組み立て業者にパーツを納める生産構造を要し、現在でも盛業を呈しています。また、これらのメーカーは1社あたり50名以下の中小企業や工房がほとんどであり、今でもスイスでは〔『匠』=オンリーワン技術〕がその誇りと輝きを失わないまま、そのブランド力を世界の憧れまでに昇華させています。時計だけではなくヨーロッパ工業を見ると、今でも中小企業や工房が皆とても元気なのです。カルチェ、プラダ、ルイビトン、どうしてあんなに高いのに売れるのだろうか?そこには厳格な品質に裏づけされた〔『匠』=オンリーワン技術〕への伝統に対する信頼があるからではないでしょうか。
日本においてもこのようなものづくりに対する運動が大正時代に興りました。それは柳宗悦が大正15年(1926)に作成した『日本民芸美術館設立趣意書』に語ることから始められた民藝運動になります。民藝とは地方の無名工人の作る美術工芸の総称で、民衆の生活からうまれた工芸品の中に美を見出そうとするものです。伝統的手仕事から生まれた民衆の暮らしの中で育まれた生活雑器で、豪華で精緻な貴族的工芸や観賞を旨とする審美的な工芸、雅物などとは異なります。民藝の品々は、用を旨としており簡素で堅牢な性質を持っており、おのずと健やかな印象を人々に与えてくれます。技巧主義への反省と、魂の響きを求める運動の1つの具体例として表われたもので、スイスブランドが形成されていった過程と一致するものがあります。
そこで私達は、かつての大量消費、大量生産市場を顧みるのではなく、このヨーロッパ型の市場や、人々の暮らしている自然環境や地域文化、歴史を基盤として試行錯誤や創意工夫の末に得た技術と知恵との集積に基づいた民藝を師範とすることで、本当の意味での『ものづくりの地』を模索することにしました。幸いに私達の街には、まだまだ、たくさんの技術を持った企業や人材があります。当プロジェクトは、私たちが50年近く精密で培ったこの〔『匠』=オンリーワン技術〕をベースに、ヨーロッパのような職人、マイスターが集う工房街をつくることを目指します。そして私たちは、本当の意味でのブランドづくりを通じて、工業ばかりでなく、様々な業種の『匠』を育て、住まうことで、将来的に本当の賑やかな街を取り戻せればと考えています。