あと、縄手通りは、ふるさとの丘モデル事業ということで、町の中に川が流れているということは非常に珍しいということで、モデル事業になりました。しかし、直すときに、川の上にある建物を壊さざるを得ない。それが仲店商店街だったのですが、壊すのはもったいとか、建てかえたりするのは大変だという中で、元々ここで商売している人たちはそこに居座っているというか、道路敷きに居座っていた人たちが縄手通りをつくっていたのですね。そういう方が30人いまして、建物を直すに当たって、市は「出ていけ」という話だったですけれども、この方たちは出ていくのが嫌だというわけですよね。それでどうしようということで市がちょっと考え、いずれにしても、道路を直すだけで下町の風情のあるまちづくりをするだけなので、市長が「そこにいたいなら、いたいでやればいいんじゃないですか」ということになりました。女鳥羽川を挟んで、仲町通りと城下町だったですよ。仲町は商売、反対側が城代だったのですね。仲町通りに面して蔵づくりの商店があります。江戸時代から昭和の初期まで川から荷物を上げていたのですよね。それで蔵がずっとあるわけです。そして周りにいろいろの商店街ができていますけれども城側にできたのが縄手通りというところですね。市長は、「城下町風にしろ」というわけです。つまり、川のこっち側は城下町。反対側は商人町ということで、それがいいということでやったんですけれども、縄手は1つの区画が60平米しかないんですよ。これしかないから、そんな立派なものできるわけないので、それで私は、川を挟んで南へ降りると仲町の蔵の町並みがあって、反対側の縄手側を見ると、武家屋敷風の塀で、縄手の通り内側は長屋もの風のものを全く新築でつくったわけですね。川の石垣を積み直すついでに、この長屋の基礎を積みなおし、道に沿って平屋だったものが中二階になりました。中二階は、物置が足りないということで丁度良く、その分お金を負担してもらいました。またここは仮設店舗ということで実際には道路敷を借りているのですね。改修して、最初の頃、商売的にすごく売れるようになって人通りも戻ったんですが、また5年たって、今また人通りが少なくなっているのですね。ちょっとしたお土産とか、骨董品とか、古本とか、いろいろ売ってますが、商品自体は改修前と全然変わらず、休みもしかり取っちゃうし、夜6時半で店じまいして帰っちゃうしということで、町並みとしては良くてもサービス、中身が変わらなかったのですね。
 下諏訪の話ですけれども、下諏訪の街並みはそんなにひどくないなという感じがします。それで縄手は、かつては工業団地だったですよ。今は都会ですね。護岸はコンクリートで固められちゃっているし、川の中は草ぼうぼうでした。たまに蔵があったのです。ちょこちょこと。今と全く別の形です。だから、これじゃいけないというわけで、こっちにみんな顔を向かせるように、今流行のやり方ですが嘘つきの武家屋敷風のきれいな町並みです。屋台風のひさし、裏から見た長屋なんていう形ですね。町が生き返るというのでなくて生まれ変わるというか、何でも変えるというだけでなく、元あった大明神をつくって、商店街の真ん中に置いてあります。また、雨戸を使おうと提案して、シャッターはやめてくれということにしまた。それで縄手の半分以上は雨戸なのです。大事なものを入れるからだめだという人はシャッターにしましたが、雨戸は昔の戸板で雨戸にしました。