イタリアのボローニャのまちづくりは、既に日本でも多くの研究者が取り上げています。
このボローニャの事例が興味深いには、今、私達が直面している町づくりの同様の問題を経験し、それを克服してきたことです。戦後の経済成長期における大量消費経済優先型「量的な発展」によるまちづくりを経験し、その中からでてきた市街地における空洞化の弊害(市街地環境の衰退)を反省するなか、施策を低成長期に併せた「質的な開発」へと方向転換を実際に成し遂げたことが、先進事例として興味深いのです。

具体的な事例で言えば、それまで郊外に新たな庶民用の公営住宅群をつくっていた資金を、旧市街地の老朽化した古い住宅群の修復再生に振り向け、ローコスト庶民住宅として再度、住民に供給したのです。それまで、市街地はどんどん第三次産業化して住民が減り、また周辺部は高齢化してコミュニティが弱体化していたのですが、この施策により、市街地に「住む」人達を呼び込むことで、市街地の「質的」な回復を喚起したのです。そして「住民」が街に戻ることで、自分達の住む町が、「歩き、暮らすのに、実に心地がよい、人と人の交流も起こりやすい」というあたり前の価値感について改めて気がついたのです。そして、それまでの近代化「量的発展」の価値観では郊外のニュータウンの方が格好よかったのが、完全に逆転し、歴史的な旧市街地の魅力を人々が肌で感じるようになっていったのです。

そして価値感が変わることで、民間業者もこうした古い建物を修復再生する事業に積極的に取り組むようになり、この事業が、十分に採算がとれるばかりか、重要な建設市場の仕事になっていったのです。富裕者層が、お金をかけて古い建物を見事に修復再生し、格好よく住むというライフスタイルも登場し、元々レベルの高いイタリアの建築家たちは、この修復再生のデザインの分野でおおいに力を発揮しました。古い建物を再利用しながら、市街地外への流出を抑制していくという、拡大膨張からコンパクトな市街地へ質的開発のモデルを組み替えるという施策の方向転換を行うことで相乗的な市街地の活性化を果たしたのです。中北イタリアの小都市が、伝統的な蓄積も生かしつつ、新たな産業を起して経済的な活気を生むようになったことは、よく知られますが。それは大企業や大きな開発によって都市がつくられるのではなく、中小の企業、商店主が既存環境を生かし、歴史的な建物、町並みといった既存の資源に加え、地元の人材、技術、ノウハウなど、ソフト的な資源を再発見、再組織し、現代的に組み立てて、感性的なモノづくりを志向した結果なのです。これは、今、諏訪圏域で動き始めた諏訪圏工業メッセやものづくり機構などの動きや、私どもの手がけている「匠プロジェクト」の基本的な考え方と通じるところであります。経済発達と地域文化は対立するものでなく、「質的な発達」を共有することで両立できると考えます。

ボローニャを事例とします、イタリアの都市再生は、旧市街地の建物を単に「保存」するのではなく、現代的にその価値を引き出し、今日的な機能を再度与えて魅力的に活用する、質的な「開発」なのです。